親が亡くなると、兄弟の本音が出る

無駄を減らす暮らし|保険

若い頃は、兄弟はずっと兄弟だと思っていました。

私は3兄弟の末っ子です。

普段あまり連絡を取らなくても、親がいて、実家があって、正月や親の誕生日などで顔を合わせる。
それだけで、なんとなく家族としてつながっているように感じていました。

でも、親が亡くなる、特に母親が亡くなると、その関係は静かに変わります。

今まで「兄弟だから」で済んでいたものが、急に現実の話になるからです。

まず私の場合は母親が亡くなり、それからこのような問題が浮上してきました。

  • 葬儀費用はどうするのか。
  • 残された父親の生活面やお金のサポート補助は、誰がどこまで見るのか。
  • 自治体や役所の手続きは誰が動くのか。
  • 父親の健康チェックや日々のコミュニケーションは、誰が担うのか。

こういう話が出た瞬間、兄弟関係は昔のままではいられなくなります。

もちろん、親が亡くなったあとも仲の良い兄弟はいます。
協力して、きちんと話し合える家族もあります。

ただ、悲しいことに、現実にはそうならないこともあります。

むしろ、親が亡くなったことで、今まで見ないようにしていた兄弟間の距離が、急にはっきり見えてしまうことがあります。

親がいる間は、兄弟はなんとなくつながっている

親が元気なうちは、兄弟同士がそこまで仲良くなくても、関係は続きます。

それは、兄弟同士の絆が強いからというより、親が間にいるからです。

「兄弟だから」
「親がいるから」
「実家があるから」

この3つで、なんとなく関係が保たれている。

普段は連絡を取らなくても、親から連絡が来る。
正月で実家に集まる。
親の伝達係になっているので、兄弟も情報があり最低限の会話ができる。

でも、それは本当に兄弟同士がつながっていたのでしょうか。

もしかすると、親という中心があったから、関係が続いていただけなのかもしれません。

親がいる間は、そのことに気づきにくいです。

親が兄弟の間に立ってくれる。
実家が集まる場所になってくれる。
何かあれば、親の話をきっかけに連絡を取ることができる。

だから、兄弟関係が続いているように見える。

でも、親が亡くなると、その中心がなくなります。

そして兄弟だけの関係が残ります。

そのときに初めて、

「あれ、この関係は親がいたから続いていただけだったのかもしれない」

と感じることがあります。

家族だったはずが、利害で衝突する関係になる

親が亡くなった後、兄弟関係がぎくしゃくしやすい一番大きな理由は、兄弟関係が急に「感情」から「権利と負担」の関係に変わることだと思います。

それまでは、兄弟同士での納得いかない言動や行動も許せてきましたが、親が亡くなると容認できなくなります

今までは

「兄弟だから」
「親がいるから」
「実家があるから」

で、なんとなくつながっていました。

たとえ普段あまり会わなくても、完全に他人ではない。
親の存在があることで、最低限の家族関係は保たれていた。

ところが、親の死後は急に、

「遺産をどう分けるか」
「実家を売るのか、残すのか」
「葬儀費用は誰が払ったのか」
「生前に誰が多く援助を受けていたのか」
「介護した人の苦労はどう評価されるのか」

という話になります。

ここで兄弟は、ただの兄弟ではなくなります。

母親が亡くなると、兄弟関係は思っていた以上に現実的なものになりました。

それまでは、同じ家で育った兄弟でした。

でも、母親が亡くなったあと、急に話し合わなければならないことが増えました。

しかも、その頃には兄弟それぞれに、もう自分の家庭や生活があります。

仕事があり、配偶者がいて、子どもがいる人もいる。
住んでいる場所も違えば、生活リズムも違う。

若い頃のように、実家のことを最優先にできるわけではありません。

残された父親のことが大事ではないわけではない。
ただ、自分の生活の中に、親の通院、手続き、見守り、連絡、金銭的な支援まで入ってくると、現実にはかなり大きな負担になります。

ここで、兄弟それぞれの本音が出てきます。

「できることなら誰かにやってほしい」
「自分の生活まで崩したくない」
「親のことは心配だけど、全部は背負えない」
「なぜ自分ばかり動かなければいけないのか」

こういう気持ちは、きれいごとでは消せません。

こういう話になると、兄弟はただの兄弟ではいられなくなります。

相続人という立場でもあり、費用や手間を分担する相手でもあり、残された親のことを話し合う相手にもなります。

つまり、兄弟関係が一気に現実的になるのです。

子どもの頃は、同じ家で育った兄弟だった。
親がいる前では、なんとなく家族としてつながっていた。

でも、母親が亡くなると、急に「誰が何をするのか」「誰がどこまで負担するのか」という話になります。

ここから、今までとはまったく違う関係になってしまうことがあります。

家族の情だけでは、もうごまかせない。
兄弟だから、で流せない。
昔のように、なんとなく笑って済ませることもできない。

母親の死後、兄弟は家族であると同時に、残された父親のことをどうするか話し合う関係になりました。

そしてそこに、お金、手間、時間、不公平感が入ってくると、兄弟関係は思っていたよりも簡単にぎくしゃくしてしまうのだと思います。

揉めているのは、お金だけではない

相続で兄弟が揉めると、外からは「お金で揉めている」と見えます。

でも実際には、お金だけの話ではないことが多いです。

本当に表に出てくるのは、昔からの不満です。

「自分ばかり親の面倒を見ていた」
「向こうは何もしていないのに、相続だけは平等なのか」
「昔からあちらばかり親に助けてもらっていた」
「葬儀のときも、実際に動いたのはこちらだった」
「なぜ、最後だけ同じ権利を主張してくるのか」

こういう感情です。

お金の話をしているようで、実はその奥には、長年の不公平感があります。

親からの扱いの差。
きょうだい間の役割の差。
介護や手続きで動いた人と、動かなかった人の差。
親に甘えてきた人と、我慢してきた人の差。

そういうものが、親の死後に一気に表に出てくることがあります。

だから話し合いが難しくなるし、衝突するだけの関係になってしまします。

単純に金額を分ければ終わる話ではありません。

その裏にある感情が、すでにこじれているからです。

本当は、遺産の金額そのものよりも、

「自分の苦労を分かってもらえなかった」
「自分だけ損な役回りだった」
「あの人は最後まで都合のいいところだけ持っていった」

という気持ちの方が大きいのかもしれません。

相続は、お金の問題に見えます。

でも実際には、家族の中に残っていた不満が、お金をきっかけに表に出てくる場面でもあります。

介護した人と、しなかった人の温度差

特に大きいのは、看病や介護を人と、しなかった人の温度差です。

親の近くに住んでいた人は、病院、買い物、役所の手続き、施設探し、緊急時の対応などをしていたかもしれません。

それは、1回1回は小さなことに見えます。

でも何ヶ月も続けば、かなり大きな負担になります。

  • 病院の付き添いや、薬の管理。
  • 介護施設とのやり取り。
  • 親からの急な電話や小さな出費。
  • 役所や銀行での手続きなどに要する時間。
  • 体調が悪くなったときの対応。

こういうことは、やった人にしか分かりにくいです。

一方で、それらをしていない兄弟は、その大変さを実感しにくい。

たまに電話をする。
たまに顔を出す。
お盆や正月に様子を見る。

それだけでも、本人としては、
「自分も親のことを気にしていた」
と思っているかもしれません。

もちろん、それが悪いと言いたいわけではありません。

特に遠くに住んでいれば、できることには限界があります。
仕事や家庭の事情もあります。
親の近くに住んでいない人が、毎日のように動けないのは当然です。

ただ、実際に日々動いていた側からすると、
そう簡単には納得できないことがあります。

  • 親の病院に付き添う。
  • 役所の手続きをする。
  • 買い物や生活の確認をする。
  • 急な連絡に対応する。

こうしたことは、ただ自分の時間を使うだけでは済みません。

会社に有給を取ることもあります。
早退したり、午後から出社したりすることもあります。
場合によっては、自分の仕事の予定を変え、職場の人に迷惑をかけることもあります。

つまり、親の面倒を見るというのは、
「気持ち」だけの問題ではなく、
時間も、体力も、仕事への影響も伴う現実的な負担なのです。

それでも、相続の話になると、法律上は兄弟で平等に近い形で進むことが多い。

ここで温度差が生まれます。

「時間を作るのが大変だった」

「今日は休める。と思っていたところに急な連絡に対応したのがとてもきつい」

「そうだったんだ。でも、相続は兄弟で平等でしょ」

このズレです。

介護した側は、ただお金が欲しいわけではありません。
自分の苦労を認めてほしい。
自分が背負ってきた時間や負担を分かってほしい。
そう思っていることもあります。

でも、あまり関わってこなかった側は、
そこまで重く受け止めていないことがあります。

「自分も電話はしていた」
「たまには顔を出していた」
「できる範囲では気にしていた」

そう考えているかもしれません。

しかし、日々動いていた側からすると、
その「気にしていた」と、実際に動いていた負担は同じではありません。

この感覚のズレが、思っている以上に大きいのです。

だから、介護と相続が重なると、
兄弟関係は一気に難しくなります。
お金の問題だけではなく、
「誰がどれだけ背負ってきたのか」という感情の問題が表に出てくるからです。

生前の援助も、後から不満になる

親が亡くなったあとに出てくるのは、遺産の話だけではありません。

生前に誰がどれだけ親から援助を受けていたのか。
これも兄弟間では大きな問題になります。

たとえば、

  • 家を買うときに援助してもらった。
  • 生活費を助けてもらっていた。
  • 子どもの教育費を出してもらっていた。
  • 何かあるたびに親にお金を出してもらっていた。

そのときは表立って問題にならなくても、親が亡くなったあとに、他の兄弟の中で不満として出てくることがあります。

「あの人は生前にかなり助けてもらっていた」
「それなのに相続は同じなのか」
「こちらは何も頼らずにやってきたのに」

こういう感情です。

これも、単純なお金の話ではありません。

親は平等にしたつもりでも、子ども側はそう感じていないことがあります。

兄弟それぞれに、自分なりの記憶があります。

「あのとき自分は我慢した」
「あの人だけ得をしていた」
「親はいつもあちらに甘かった」

そういう記憶が、親の死後に相続の話と結びついてしまうのです。

相続が争続に。実家をどうするかで、さらに揉める

親が亡くなった後、実家の扱いも大きな問題になります。

売るのか。
残すのか。
誰かが住むのか。
空き家のまま管理するのか。

実家には、単なる不動産以上の意味があります。

子どもの頃に住んでいた場所。
親が暮らしていた場所。
思い出のある場所。

だから、売るか残すかだけでも感情が動きます。

ただ、現実には固定資産税もかかります。
管理の手間もかかります。
空き家にすれば傷みます。
売るにしても手続きが必要です。

ここでも、兄弟間で温度差が出ます。

「思い出があるから残したい」
「売った方が現実的だ」
「家は面倒だから私は放棄する」

全く方向性の違う話になりやすいです。

実家という場所が、兄弟をつないでいたはずなのに、親の死後は実家が揉め事の原因になることもあります。

これもまた、親が亡くなったあとに兄弟関係が変わる理由のひとつだと思います。

親の死後、兄弟関係の本当の本音が見えてしまう

親がいる間は、兄弟関係の本音はわからないものです。

「もし、親を面倒見るようになったら俺がなんとかする!」

それに同調して、他の兄弟も「みんなで助け合おう!」と言っていたのが

どちらの親が亡くなると、それぞれの本音が出てきてしまします。

そのときに初めて分かります。

この関係は、兄弟同士だけでも、本当に続いていたのか。
それとも、親がいたから保たれていただけなのか。

もちろん、親が亡くなったあとも仲の良い兄弟はいます。

でも現実には、親がいなくなった途端、急に連絡が減る関係もあります。
必要な連絡しか取らなくなる関係もあります。
相続や実家の話で、完全に距離ができてしまう関係もあります。

それは、急に兄弟仲が悪くなったというより、
もともとあった距離が、親の死後にはっきり見えてしまっただけなのかもしれません。

親がいたから、なんとなく家族でいられた。
実家があったから、なんとなく集まれていた。
親の話題があったから、なんとなく会話ができていた。

でも、その中心がなくなったとき、兄弟だけの関係が残る。

そこで何も残らなかったとしたら、少し寂しいですが、それも現実なのだと思います。

無理に仲良く戻ろうとしなくてもいい

兄弟だから、仲良くしなければいけない。

そう思う人もいるかもしれません。

でも、相続や介護で一度こじれた関係は、簡単には戻りません。

特に、お金、負担、昔の不満が絡んでいる場合、無理に会って話せば、また衝突することもあります。

「兄弟なんだから」
「昔みたいに戻ればいい」
「親もそれを望んでいるはず」

正論を言うなら、そう考えたくなる気持ちも分かります。

でも、現実には無理をしない方がいい関係もあります。

親が亡くなったあと、兄弟関係が変わってしまったなら、無理に昔の形に戻そうとしなくてもいいと思います。

必要なことは、感情でぶつかることではなく、揉めない距離を保つこと。

顔を合わせるたびに衝突してしまう関係なら、距離を置くことも必要

  • 連絡は必要最低限。
  • お金の話は記録を残す。
  • 実家や相続の話は、できれば専門家を入れる。
  • 昔の不満をぶつけ合う場にしない。

ここまで気を使わないと続かない関係なら、無理に近づかず、できるだけ距離を置いた方がいいのかもしれません。

兄弟だから何でも分かり合えるとは限りません。

50代以降は、仲良くすることより、これ以上こじらせないことの方が大事な場合もあります。

昔のように戻れない関係もあります。

でも、それは必ずしも失敗ではないのかもしれません。

  • お互いの生活を壊さないために、距離を置く。
  • 必要なことだけ、淡々とやり取りする。
  • これ以上、傷つけ合わないようにする。

そういう兄弟関係の保ち方もあると思います。

まとめ:親がいたから、つながっていただけかもしれない

親が亡くなると、兄弟関係は変わることがあります。

それまでは「兄弟だから」「親がいるから」「実家があるから」という理由で、なんとなくつながっていた関係も、親の死後は急に現実的なものになります。

遺産、実家、葬儀、介護、残された親の生活。
こうした話になると、兄弟は家族であると同時に、権利と負担を話し合う相手になります。

私の場合も、親と比較的コミュニケーションが取れていたこともあり、なんとなく自分が身の回りの世話をし、看病をし、葬儀を行い、その後は父のことも気にする流れになりました。

私は三男ですが、兄たちから「父を頼む」と言われたわけではありません。
それでも、なんとなく私の役目のようになっていたのだと思います。

もちろん、それに対して「まあ、そうだよね」と思う自分もいます。

ただ、そうした曖昧な役割分担の中で、兄弟関係の距離や温度差が見えてしまうこともあります。

「まあ、そうだよね」と思う反面、時にはこんな感情も湧き出てきます

  • 俺は三男ぞ?
  • 後で「父を任せた」とは言っていないと言うつもりか?
  • 少しくらい援助や労いの言葉いえや!
  • やらせときゃいいや、とでも思っとるんか?
  • 父になんかあったら、俺のせいにするだろ?

と、夜中2時に位に起きてしまった時に、思うこともあります。

解決策や反省点を言うなら・・・

母が亡くなった時に、むっつりしていないで3人で話し合えばよかった。

それまで私は、デイサービスの手配、自治体との連絡、各種手続き、葬儀費用の対応まで、ほとんど自分でやってきました。

だから、あとから話し合いになったとき、心の中では、
「今さら何をするの?あんたら」
という気持ちがありました。

その結果、話し合いを拒んだのは私の方です。

振り返ると、そういう態度も含めて、今の兄弟関係を自分で作ってしまった部分はあるのだと思います。

家族だから、ずっと分かり合える。
兄弟だから、最後は助け合える。

そう思いたい気持ちはあります。

でも現実には、親が亡くなったあと、兄弟関係は「昔のまま」ではいられないことがあります。

だからこそ、無理に昔の関係に戻ろうとするより、これ以上こじらせない距離を保つことも、自分の心を守るためには必要なのかもしれません。

親の食事ならこれが安心です

私の親も、今は宅配弁当を利用しています。

高齢になると、食事を作るのも大変ですし、そもそも「あまり食べたくない」という日もあります。

でも、宅配弁当なら量が決まっているので、残すのが少しもったいなく感じるようです。

もし少し物足りないときは、卵焼き、味噌汁、納豆などを一品だけ足せば、栄養面でもかなり整いやすくなります。

個人的に嬉しかったのは、親の「あまり食べたくない」が、少しずつ「もったいないから頑張って食べよう」に変わったことです。

離れて暮らす家族にとっても、毎日の食事がある程度整っているだけで、かなり安心感があります

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親の介護や日々のお世話は、家族だけで抱え込むと大きな負担になることがあります。

だからこそ、自分自身が老後に備えてお金を用意しておくことも大切です。

ある程度の備えがあれば、必要なときにヘルパーさんや施設の力を借りることができます。

それは、自分のためだけでなく、家族の負担を少しでも減らすことにもつながります。

将来、家族に無理をさせないためにも、できる範囲で今から老後の備えをしておきたいですね。

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